私は学生時代、
英語がコンプレックスでした。
英語の時間は憂鬱で、
英語は読めないし、
書けない、
どれだけ単語を覚えようとしても、
一向に英語のテストは
あがりませんでした。
高校時代の英語の先生は、
私が英語が苦手なのを知っていて、
わざと、
私に当てて、
笑いを取りに来ていました。
(てか、正解が分からんのやからしょうがない)
あの一番勉強したという
予備校時代でも、
他の数学や化学は
満点が取れるくらいまで
になりましたが、
英語だけはどんだけ頑張っても、
平均点まで行くことは
ありませんでした。
英語の文章を読んでも
全く理解できませんでしたし、
リスニングも全く
聞き取れませんでした。
ただ、今は
そんな日の事が思い出せないぐらい、
英語も読めますし、
聞き取れるようになっています。
当たり前ですよね。
皆さんに日本語が分からなくて、
うまくしゃべれなかった時の事、
覚えてますかって
聞いているのと同じです。
英語は語学です。
一度覚えると忘れません。
さすがに、
全く使わないと
多少忘れますが、
あの時のように
全くわからないには
戻りませんから、
安心してください。
私は大学3年の22歳の時に、
一年間、ニュージーランドへ
ワーキングホリデーに行きました。
タイトルにも書いた通り、
日本にいてどんだけ英語勉強しても、
英語は喋れるようにならない。
だから、
わざと自分を
日本語が使えない環境において、
英語しか喋れないようにすれば、
英語が喋れるようになるはずだ
と思ったからです。
自分にとっての
実験でした。
私がまずやったことは、
みんなが行くような
大都会の語学学校には
行かないってことです。
知り合いのつてを使って、
仕事先を探し、
そこの方にホームステイ先を探してもらい、
3か月間、
午前中は町の小さな英会話スクールに通い、
午後からは球根のナーセリー
(園芸の勉強も兼ねていたので)
で働きました。
球根のナーセリーには
日本人の方が1人いたのですが、
それ以外は
日本人は周りに一人もいませんでした。
英会話スクールも
ほぼマンツーマン、
たまに別の生徒さんと
一緒になるのですが、
ほとんどが香港人か韓国人のお母さん。
ホームステイ先は
現地の50代ぐらいの夫婦と
高校生の孫が
一緒に住んでいました。
当時はインターネットも
まだ家には繋がっていなかったので、
たまにナーセリーの日本人の方と
喋る以外はほぼ英語での生活でした。
だからと言って、
英単語を覚えたり、
というのはあまりやりませんでした。
ただ、英語に慣れるだけの
3ヵ月間でした。
色んな失敗もありました。
ホームステイ先の高校生の孫が
友達の家に行くから
送ってくれと言われ、
車で送って戻ってくると、
「いや、ただ本を返しに行っただけだから、
すぐ迎えに行って」と言われ
慌てて呼びに戻って謝ったり、
朝ごはんは適当に食べていいと言われて、
どうしていいか聞けないから、
コーンフレークみたいなものがあって、
それに牛乳入れて食べようとしたら、
超まずくて、
実はそれはWeetabixという
ジャムとか砂糖入れないと
食べれないやつでした。
それ以来、
Weetabixは食べれません(笑)
正直言って、
残念ながら、
3ヵ月で英語が喋れるように
なったとは言えません。
ただ、その後、
別の小さい町の
(ここは本当に日本人が誰もいない)
ナーセリーを紹介してもらい、
3ヵ月(ワーホリのビザは
3ヵ月以上同じ所で働いてはいけないので)
フルタイムで働くことになりました。
そこには、
フランス人とドイツ人の研修生もいて、
同じ家で一緒に生活していました。
そこでは本当に
英語しか喋れませんでした。
一緒に働くおばちゃんと
会話するために、
おばちゃんの好きはテレビ番組
(Coronation Street、日本でいう渡る世間みたいなドラマ)
を見て、
必死にコミュニケーションを
取ろうしました。
正直、この時期の6ヵ月ぐらいで
英語がやっと聞こえるようになったと
感じて来ました。
実際、当時の日記にもそう書いています。
その同じ時期に、
たまたま大学で
ニュージーランドに
ワーホリに来ていてた
同級生が
インバカーギルというところで
6か月間語学学校に通っていて、
遊びに来てくれたのですが、
そこは本当に一般的な語学学校で
日本人と韓国人と中国人しかいなくて、
どうしても日本人の友達が
沢山出来るとこでしたが、
彼らの英語を聞いた時に、
日本人の英語の発音だなー
と思ってしまいました。
その時初めて、
自分は英語が全くできなかったから、
先入観なしに、
聞いた英語をモノマネすることで、
変な照れもなく
英語を喋れているんだな
と感じました。
その後は、
クライストチャーチに行って、
フリーアコモデーションと言って、
格安のバックパッカーで
風呂とトイレ、キッチン掃除を毎日して
タダで泊めてもらうというやつを使って、
3ヵ月ぐらい滞在しました。
そこにはもちろん日本人も泊りに来ますが、
世界各国から色んな人が泊りに来るので、
とても楽しかったです。
その話はいつかします。
さて、結果的に
約10ヵ月で日本に帰国するのですが、
私の英語力は
どれくらいになっていたのでしょう。
それを一番実感したのは、
日本に帰る前に、
お世話になった球根のナーセリーと
ホームステイ先の家族に会いに行った時です。
7ヵ月前、やっと会話出来ていた彼らと、
普通に喋れるようになっていたのです。
そして、球根のナーセリーの奥さんが
(彼女は英語の教師をしていました)
言った言葉が今でも忘れられません。
「How can you speak English getting better in short time! 」
あってるんかな(笑)
みたいなことだったと思います。
忘れとるやん(笑)
でも、その言葉が
めっちゃ嬉しかった事は
凄く覚えています。
日本人の訛りがない、
発音が上手だとすごく褒められました。
実は英語は発音が上手いと言われるのが、
一番嬉しいんです。
それから、自分の英語は通じるんだと
自信が持てるようになりました。
全く、英語が
出来なかった時を知っている人から、
出来るようになったことを驚かれ、
認められたって事が、
私の一番のモチベーションアップに
なったと思います。
だから、
これから英語を勉強する人は、
出来ないことを恥ずかしがらずに、
出来ないことを知ってもらい、
出来るようになって驚かせるのも、
一つのモチベーションに
つながると思います。
このニュージーランドの
10ヵ月で自信をつけた私は、
この後、2年間イギリスに
園芸の留学に行きました。
そこでも発音上手いねー
と言われることが、
一番嬉しかったです。
それは、
日本で勉強した英語ではなく、
英語しか話せない環境で
英語を覚えた結果だと思っています。
あと、学校英語が
全くできなかったことも。。
私の結論は一つ。
これから英語を学ぼうと思っている人へ。
英語は頭が良い悪いは
関係ありません。
語学です。
英語を喋る環境を作れば、
必ず、喋れるようになります。
そして、そうやって覚えた語学は
一生忘れることはありません。
今日は、このぐらいにしておきます。
また、いつか英語の話をしたいと思います。
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