我々はついに
雲南省の昆明に
到着しました。
昆明は大きい町で、
宿も地球の歩き方に載っていた
バックパッカー用の宿を探して、
そこに宿泊しました。
次の日に
世界園芸博覧会の会場を
見に行ったのですが、
一年前の残骸といった感じで、
そんなに観光客は
いなかったのを覚えています。
私と友達は
共通の目的を達成したので、
別々に行動することにしました。
何となく、
はっきりは言いませんでしたが、
一緒に旅をするのが合わなかったのを
お互い分かっていたんだと思います。
数日後に
この宿で待ち合わせという事で
次の日友達と別れました。
それから私は、
現地の人と交流したいと思い、
歩き回りました。
一日目は
昆明周辺をバス乗って、
適当なところで降りて、
人を探しました。
子供たちが遊んでいたので、
一緒に夕方まで遊び、
仲良くなったところで、
「家行ってもいい?」って聞いたら、
お母さんにダメって言われて、
テレビみたいには行かないなー
と思って、その日は宿に帰りました。
次の日は、
雲南は少数民族が沢山いるので、
その人に会いに行こうと思い、
市内から出ている観光バスに乗り、
石林というところに向かいました。
そこで、まさに、
テレビのような体験をしたんです。
この事を書きたくて、
この記事を書き始めたぐらいの出来事です。
当時の石林は
世界遺産に登録される前ですが、
沢山の観光客がいました。
それは、
信じられないような絶景でした。
でも、少数民族との交流が目的ですから、
ひとしきり見た後に、まず、宿探しです。
とその前に、
腹ごしらえとして、
近くの屋台で食事をしていると、
隣にいた大学生のグループが
一緒にご飯食べようと誘ってくれて、
楽しく食事をしていたら、
結局奢ってくれました。
そういえば、前の日にも、
昆明の町の屋台で食事していると、
店員のおばちゃんが
おかずを一品サービスしてくれたなー。
そうです。
私の身なりが
相当やばかったんだろうと、
その時気づきました(笑)
さて、
問題の宿探しです。
案の定、人に聞くと、
あなたが泊れるのは
飯店か酒店だと言われます。
でも、そんなお金はありません。
もう、町に帰るバスはありません。
ピンチです。
日も暮れ出し、
途方に暮れていると、
そこに少数民族の衣装を着た
おばちゃん達が3人歩いてきました。
「来たーーー!
少数民族の人と交流するチャンスだー!」
と思い、私は思い切って声をかけ、
「おばちゃんたちの家に泊めて!!」
と頼みました。
そしたら、おばちゃんの中に、
日本語が少し喋れるおばちゃんがいて、
(日本人観光客向けに覚えたらしい)
「あんたを家に泊めたことが公安に見つかったら、
捕まってしまうから無理だ」
みたいなことを言われてしまい、
当時は公安の意味をわかっていなかったので、
何度も何度もお願いしていたら、
ここに泊まったらと
中国人向けのホテルを紹介してくれました。
さらに、
明日朝、呼びに来るから、
うちでご飯を食べさせてあげる
と言ってくれました。
なんと優しいおばちゃんたちでしょう。
感動です。
その宿は
一泊20元ぐらいだったと思います。
もちろん、お湯も出ないシャワーでした。
外では、現地の観光客が宴会をしていて、
例の中国の音楽を流しながら、
相当盛り上がっていました。
ただ、奇跡的に
そこで働いていたスタッフの子たちが
めちゃくちゃいい子達だったんです。
スタッフといっても、
年齢は自分と変わらないくらいで、
おばちゃんが説明してくれていたのか、
ものすごく優しく接してくれました。
夜、私が暇そうにしていると
声かけてくれて、
ずっと筆談で会話していました。
結構盛り上がって来た時に、
ご飯食べに行こうと
私を誘ってくれて、
下の町まで、女の子のスタッフ3人と
歩いてご飯を食べに行きました。
屋台で焼鳥みたいなのを
食べたんですが、
何の鳥だったかは謎です(笑)
美味しかったと思います。
そして、なんと、
そこでもその子たちに奢って貰ったんです。
中国にはそういう文化があるのか、
それにしても、日本男子たるもの
女性に食事代を払わせるわけにはいかないと思って、
お金を出したら
「じゃあこれでアイス買って!」
って言って、3人嬉しそうに
アイスを買ってきました。
その笑顔はとても、純粋で、
心が洗われた気がしました。
ヤバいです。
中国の旅の事を書きだしたら、
どんどん長くなってしまいました。
まだ、あのおばちゃんが
呼びに来ていません。
まだまだ、続きます。
明日は次の日、
おばちゃんが呼びに来てくれる
ところから始めます。
お楽しみに!
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