西暦2001年に訪れた中国雲南省①

雲南省 少数民族
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今日は、
学生時代に訪れた、
中国雲南省の話を
書きたいと思います。

19年前の話ですので、
今ではすっかり変わって
しまっているでしょうが、
思い出として
ここに記させてもらいます。

西暦2001年、
私は大学の友達と2人で
初めて中国に行きました。
バックパッカーの旅です。

きっかけは、
一緒に行く友達が
雲南省の昆明で
前年に世界園芸博覧会があったから、
それを見に行こう
といったのだけは覚えています。

2001年3月、
我々はまず、
香港に入りました。
そこから、今思えば、
なんで調べてなかったんだろう
と思いますが、
陸路で中国本土に入ろうとしました。(歩いて)

そしたら、
高速道路の料金所みたいな所があって、
ビザがないと入れない
と言われました。
中国本土に入るビザを
持っていなかったんです。
その時に初めて
中国に入るにはビザが必要だと知る(笑)

ビザは
香港と中国の国境?
の駅で発行できるという事で、
そこまで行き、
おそらく通常より高い料金で
即ビザを発行してもらいました。

発行してもらったビザ

全く無謀な
中国の旅の始まりです。
最初についたのは
深圳の町、
今では、香港よりも
発展している大都市になっている
という事ですが、
当時は、
何もない町だったのを覚えています。
そこで、
泊まるところを探して、
歩き回りました。

ここで、
中国での宿探し時の話を一つ。
行った当時は知らなかったのですが、
中国では日本人が泊るところは
賓館か飯店だったらしく、
ここはものすごく高い。
もちろん、バックパッカーの我々は
そんなところは泊まれないので、
招待所とか旅館とか
(中国人が泊まるホテル)
を探していました。
ただ、そういうところに行くと
大抵、ぼったくられます
言葉は正しいかはわかりませんが、
堂々と高い金額を言うのです。
だって、フロントの横の料金表に
書いている金額の倍ぐらい
言うてくるやん、
みたいなのは当たり前でした。
向こうからしたら、
日本人だから当たり前って
感じだと思うのですが、
一緒に行っていた友人は
相当腹を立てていました。
(私はなんで腹が立たなかったんだろう。
そういうのも楽しいと
楽しんでいた気がします(笑))

そんな中でも、
優しい施設もあって、
そこは学生の寮みたいな所だった
と思うんですが、
学生しか泊まれないって
言われたから、
用意していた英語で書かれた学生証を
見せたら、ダメって言われて、
えーなんで!!って思って、
一緒に持っていた
千葉大学の日本の学生証を見せたら、
OK!!って言われて、
なんだ!英語読めないだけじゃん!
ってなったのを覚えています。
ここから、
中国での旅の殆どは、
漢字での筆談で乗り切りました。

一泊した後
すぐに、
我々は深圳から雲南省の昆明に向かうべく、
駅に向かいました。
寝台列車で
行こうと思ったからです。
何時間かかったのでしょうか?
今ネットで調べたら、
2019年に昆明から深圳まで
27時間の旅
ってのが出てきたので、
19年前の当時は
それ以上かかったはずでしょうから、
30時間ぐらいだったのかな??
お金はなかったですが、
さすがに座席では、
そんな時間耐えられないので、
一番安いベッドの席の
チケットを買いました。
僕らは2段ベッドの上で
下は中国人。
彼からはずっと喋って、
ずっとなんか食べていました。
この寝台列車は
夜中もちょこちょこ駅に泊り、
ゆっくり進んでいっている感じでした。
ゆっくり寝れたかどうかは
わかりませんが、
早朝、衝撃な出来事で
目を覚ましました。

急に列車中に
音楽が流れだしたのです。
それも、大音量で!!
中国独特のあの音楽です。
「ピャー♪♪ってやつ」
クラシックのような
さわやかなBGMではありません。
ただの目覚ましです。
ビックリしましたが、
誰一人怒っている中国人もいないので、
当たり前の事なのだと
思いました。

そして、そこから、
停まる駅の度に、
窓の外から駅弁を売りに来るのです。
それが、旨そうなんです。
ご飯の上に何品かのおかずをのせた、
中国式の弁当ですが、
めっちゃいい匂いで
何度も購入しようと
チャレンジしたんですが、
窓越しなので、筆談が出来ず、
全然、気づいてくれません。
何駅もそれで
買えずじまいでいると、
見かねた下の席の中国人が、
私の金を取り、
代わりに弁当を買ってくれました。
何とも優しい方でした。
お礼もちゃんと言えたか
わかりませんが、
とても長い
寝台列車の旅の疲れも
一気に吹っ飛びました。

そして、ついに昆明に到着しました。

長くなったので、
この続きは
明日書きたいと思います。
お楽しみに。

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